立木レポート (了)
イ 〇二八
発 代理人二十五号
宛 東部方面連絡中継所
秘匿任務第三八九七号継続報告(二八)
及
秘匿任務第三九九六号継続報告(一二)
潜入二五日目から二六日目未明。
以降の報告をもって上記二任務の最終調査報告とする。内容の重要性・必要とされるであろう機密性を鑑み、次の空白行から先の復号鍵を 九ナロ五ヘム四二ギ に変更する。
(編者註:この行と次の行の間で暗号の復号コードが変更されていた。一送信中に復号コードが変わるという事例は稀である。しかし使われている暗号機は同じであり既にその暗号生成法則は明らかなので、時間はかかったが解読は可能であった。立木もそのことは承知の上で、気休めと万一の場合の時間稼ぎを念頭に置いてコードを変更したのであろう)
前回報告を送信後、ただちに大伴市郊外の黒潮邸に向かう。庭に二名、屋内に二名、計四名の私服警備員が配置されており、これらに察知されず対象甲群筆頭“黒潮豪蔵”に接触を試みるには時間的猶予がないと判断。
やむをえず有形力を行使しこれらを制圧する。(編者註:有形力という語句は元来「物理的な力」という意味に過ぎないのだが、法律上の用語として「暴行」の定義が「人の身体に向けられた有形力の行使」とされており、このため警察関係者などが暴力を用いて犯罪者を制圧する際などに「有形力を行使し制圧」などといった言い回しが多用される。これは「暴力」よりも「有形力」のほうが、さも適法行為であったかのような印象を与えるからであると思われる。この報告書における立木の言い回しも、それに類するものであろう。なお当時黒潮邸に配置されていた私服警備員は元警官が二名・国軍憲兵隊出身者が一名・柔道の国体選手が一名であったことが後の調査で明らかになっている。おそらく不意打ちだったとはいえ、彼らをこともなげに倒す立木の実力には恐るべきものがある)
その後速やかに黒潮豪蔵と接触。単刀直入に事情の聴取を申し入れたところ、黒潮は特に抵抗もなくこれに応じた。これは主観であるが、黒潮の顔相には一種の諦念らしきものが見て取れた。黒潮の案内に従い、邸内書斎に入る。書斎には隠し金庫が設置されており、

そこには“ガ號計画”に関する機密書類、および計画初期にやりとりされていたと思われる書簡、覚書の類が未整理の状態で保管されていた。
これらを閲覧しつつ黒潮に対し事情の聴取を実施した。以下、その要点を踏まえての報告総括とする。
ガ號計画は、先の大戦末期における国軍と神楽製薬の共同事業として行われた“神楽遺跡”発掘作業にその端緒を見いだすことが出来る。これは当時の国軍関係者には周知の事実である。しかし発掘が完了する前に終戦をむかえ、国軍は混乱のうちにその計画を放棄することになる。
残された神楽製薬は単独で発掘作業を継続した。その陣頭指揮を執っていたのが当時の社長、神楽辰之である。神楽辰之は、多くの社員が採算性などを理由に反発していたにも関わらず強硬に発掘を推進したという。その際、当時の神楽製薬筆頭株主であった黒潮豪蔵が、発掘反対派に対し執拗な根回しを行っていたらしい。
かくして“神楽遺跡”は、最終的に二体がほぼ原型を留めた状態で発掘された。
うちひとつは人間の頭蓋骨に類似した外観を呈するもの(以下「頭部体」と記す)で、もうひとつは大きな翼を持つ動物を形象したかのような外観を呈するもの(以下「有翼体」と記す)であった。。
なお当時の写真資料を見たところ、遺跡頭部体の外観は“骸骨男”が被っている覆面とまったく同一であり、有翼体は白鈴會の“本尊”と同一のものであることを付け加えておく。
黒潮によれば、当時の神楽辰之は何かに取り憑かれたかのような執念で遺跡の研究に没頭していたらしい。黒潮は惜しみなく辰之に研究資金を与え、遺跡の解析は容易ではなかったものの、少しずつ着実に前進していた。このとき黒潮が辰之に資金を提供した理由であるが、遺跡の発掘段階で既にこれらが未知の力場を周囲に発生させていることがわかっていたらしい。それは現代の物理学・化学では説明不可能なもので、黒潮によると“力場”という用語すらその実妥当ではなく、ただその状態を言い表す術語が存在しないための仮称であったという。黒潮はその未知なる力を解析し、いずれ独占的利用が叶えば実業界において圧倒的な優位を獲得できると考え、辰之の研究を支援していたのである。
ところが研究が進むにつれ、事態は黒潮の思惑とは違った方向に動き出す。辰之は遺跡研究の過程で、これらが人体を遺伝子的水準で変容させるという特異現象を見いだしたのだ。
その変容は人の外観を変え、身体能力を飛躍的に向上させた。ただし遺跡の持つ力が人体に対してどのような作用機序でこの現象を引き起こしているのかは、妄執とも言える辰之の昼夜を問わぬ研究をもってしてもわからずじまいで、ただひとつわかったことは、この現象が発生するためには媒介として神楽辰之本人の存在が必要である、ということのみであった。
この事態を受け、黒潮豪蔵と神楽辰之の間で“神楽遺跡”をどう処遇するかについて、大きな方針の違いが生まれた。黒潮は先述したようにこの未知の力を実業に利用しようと思っており、この特異現象はそれを具体化する嚆矢という認識であった。しかし神楽辰之は、この遺跡の力を科学的手法によって完全に究明することは不可能と判断し、それを畏怖しつつ信仰する道を選んだのである。当時の彼の思想は、遺跡の力を受けることによって人間は新たな段階に進化することができ、より多くの人間がそうなることによって人類全体が幸福になれる、というものであったらしい。
かくしてここに、白鈴會の礎となる宗教団体が生まれた。
神楽辰之は“番場壮吉”なる変名を名乗り、宗教家としての活動を開始する。しかし元来科学者である辰之は、最終的に完全な究明は期待できないと思いつつも遺跡の研究をやめることはできず、それは同時に研究資金を提供している黒潮豪蔵に向けての義理立てにもなり得た。ゆえに、神楽製薬社長としての顔も持ち続けることになる。そしてこの継続された研究こそが、“ガ號計画”そのものである。
当時の資料によると“ガ號計画”は、「生理学的・薬学的な手法による人体の強化、およびその統御」を目的としており、ここに国軍が関わっていた頃の影響を見ることが出来る。ただ国軍側はおそらくこれを、強壮剤や戦意高揚剤(編者註:民生的な用語では、これらは覚醒剤に類似する物である。事実先の大戦での国軍や南亜戦争での米軍などはこれらを主に前線部隊において使用していた)の延長線上にあるものとしか認識していなかったのであろう。然るに終戦後の混乱期を過ぎても、軍首脳部がこの計画にふたたび関心を持つことはなかったのではないかと推測する。
反して黒潮は、早期段階においてこの遺跡の力が大きな財を成す源になり得ると踏み、神楽辰之に資金援助を続けていたわけである。ところが神楽辰之は当時、研究成果の核心たる部分に関しては黒潮に対し頑としてその開示を拒み続けた。実業家である黒潮豪蔵と、純粋な研究者でありながらさらに純粋な宗教家の顔をも持つようになってしまった神楽辰之。この両者の溝は次第に拡がっていったようで、その様子は黒潮が提示した当時の書簡によっても推し量ることができる。
この状況を受け、黒潮はひとつの決断を下す。警察署副署長であった埴輪儀助に、研究資料の強奪を指示したのである。当時の埴輪は黒潮の後ろ盾を得たことにより、警察組織内において日の出の勢いで出世街道を邁進していた。それゆえ埴輪にとって黒潮の命令は絶対であり、むしろ率先して汚れ仕事を引き受けていたきらいすらある。
しかしここでまた黒潮の想定を覆す状況が発生する。黒潮の指示を拡大解釈した埴輪が、研究資料を強奪した上に神楽親子を殺害、さらに証拠隠滅のため神楽辰之の自宅兼研究室に火を放つという愚行を犯したのである。
事後の現場検証および検屍の結果、焼け跡からは神楽辰之とその息子神楽辰男と思われる死体が発見された。しかし当時の法医学・鑑定技術では、この二遺体が間違いなく神楽親子であるかの確定まではできなかった。なお辰之の妻沙羅は、この時期第二子の出産準備のため同じ神楽村内にある実家に帰省中であったため、難を逃れている。
この放火事件にはもうひとつ重要な側面がある。徹底的な現場検証を行ったにも関わらず、そこから“神楽遺跡”の頭部体を発見することができなかったのだ。
神楽遺跡の頭部体は、当初白鈴會の前身たる宗教団体で有翼体と同じように“本尊”として扱われていた。
ところがある時期を境に“本尊”は有翼体のみになり、この頭部体は人目に触れぬよう神楽辰之が隠し持つようになってしまう。黒潮によると、頭部体の研究だけは部下を交えず神楽辰之が単独で行っている様子だった、とのことである。当然この頭部体は辰之の自宅兼研究室にあるものと思われていた。しかし火災の跡をどれほど念入りに調べ抜いてもそれらしき残骸は見いだせず、黒潮らは「遺跡の頭部体は火災の熱で燃え崩れた」と結論せざるを得なかったのである。
だが、それについて黒潮に対しさらに聴取したところ、黒潮個人は別の可能性を想定しているようであった。曰く、「何者かが裏で動いて遺跡の頭部体を持ち去った。その際神楽の息子、辰之をも救出されたかもしれない」とのことである。
この黒潮の推論について信憑性を評価する術はない。然るにこれに関する判断は本部に一任する。しかし、潜入調査開始からここまでの“骸骨男”の動向を見る限り、その超人的な戦闘能力等を合理的に説明するには、彼の怪人が“神楽遺跡”の頭部体が持つ未知の力を利用しているという仮定は非常に収まりがよく感じられる。これはあくまで個人的な所感として付記しておく。
上記のような経緯で、“ガ號計画”の中心人物は神楽辰之から黒潮豪蔵へと移行したわけである。黒潮は遺跡研究の隠れ蓑として辰之が創設した宗教団体を存続・活用することをも視野に入れ、辰之とともに教団の実質的な責任者であった神楽沙羅と結婚。同時に宗教団体は“白鈴會”として改組を果たす。改組後の白鈴會は沙羅の精力的な活動と黒潮の資金面における後押しが奏功し、着実に信者数を増やしていった。
転じて“ガ號計画”に関しても、まず黒潮は神楽製薬を大伴製薬に改組し、事業を拡大していく中で遺跡の研究に巨額の研究費を投じ、その利用方法を模索していく。しかしこの研究は当初、困難の連続であったという。生体の遺伝子的変容現象は再現性に乏しく、同一条件で複数回試行した実験においてもその結果は不安定であったことが当時の資料から読み取れる。なおこの頃から、遺伝子的変容を示した検体をこの計画名からとって“ガ號”と呼称するようになっていたようである。
やがて資金難に直面した黒潮に対しまずは資産家であった沙羅の実父が援助を行い、次いでこの計画をどこからともなく嗅ぎ付けたブレインギア社極東支部が資金援助を前提とした技術提携を申し入れてきた。ここに大伴製薬とブレインギア社の提携関係が生まれ、“ガ號計画”はこの二社による共同研究という名目のもと、本格的な軌道に乗せられた。当時の書類によると、ブレインギア社側では“ガ號計画”を“Project GRO”と呼称していたようである。しかしこれらの資料からは、黒潮がブレインギア社に開示する研究の進捗状況を意図的に改竄し、なんとかして技術を独占しようとしていた跡が伺える。
上述のような大伴製薬側の態度に不信感を抱いたブレインギア社は、黒潮にガ號実験体の提出を迫った。ガ號研究は依然として不安定な状態であったが、ここで黒潮はやむなく比較的良好な成果が得られた双子の実験体をブレインギア社に提出した。これら二体はブレインギア社でひととおりの検査・実験を行った後、その能力を測るため試験的に南亜戦争の前線に投入されている。二体は一定の成果を残したものの、戦局の混乱によりブレインギア社はこれらの所在を見失ってしまう。以後この二体についてブレインギア社では登録番号抹消実験体、すなわち“ロストナンバー”と呼称するようになる。
この事態は黒潮にとって痛し痒しと言うべきもので、貴重な実験体を失いはしたものの、以降これが実験体の提出を拒み閉鎖的な状況で独自に研究を進めるための口実にもなった。
ほぼ時を同じくして、遺跡研究に大きな前進をもたらす出来事が起きる。神楽辰之死亡時に沙羅が身ごもっていた女児“黒潮真耶”が成長し、巫女として白鈴會の象徴的存在に据えられたのだ。それを契機にしたかの如く、白鈴會信者の中から多数の“ガ號”が発生した。黒潮子飼いの研究者たちはここに因果関係を見いだし、黒潮真耶こそが遺跡の力を人体に波及させる媒介であると推定。以後“ガ號計画”は人体強化の一手法として、急速に具体性を帯びたものになってゆく。実験の再現性が向上したことにより研究も進み、ガ號を音波によって制御する可能性など、いくつかの新事実が明らかにされたのもこの時期である。
この時点で白鈴會は黒潮の思惑通り“神楽遺跡”を一般の耳目から遠ざける格好の目くらましになっており、なおかつ大伴市を中心に多くの信者を獲得していた。教団の理事である黒潮沙羅は神楽辰之の妻であった頃から遺跡の持つ力に心酔しており、それを具現化しようとする夫の計画にも協力的であった。それゆえ、大伴製薬内にある黒潮直属の研究部署と白鈴會幹部は密に連携し、両者の間で信者の多くが被験体として秘密裏にやりとりされていたのである。
その後黒潮は軍需産業の新たな一分野を築き、かつそれを独占することを目標に設定し、“ガ號計画”を強力に推進してゆく。同時に神楽遺跡の研究過程で得られた技術的副産物は時間差をともなって大伴製薬とその関連企業を潤し、黒潮は余勢を駆って現在の大伴コンツェルンを形成してゆくのである。その際政・官への働きかけも抜かりなく、大伴コンツェルン躍進期に黒潮豪蔵と近しい関係にあった代議士“霧野竜二”および大蔵次官“兵藤靖行”は、この頃から現在に至るまで“ガ號計画”の秘密と、それが将来的にもたらすであろう莫大な利益を黒潮と共有する間柄になっている。すなわちこれこそが、任務第三八九七号で言うところの「大伴市を実質支配する非公然組織」の萌芽であり、現在においてはその基幹である。
同任務において言及されていた「大伴市を実質支配する非公然組織による反体制的動向」については、黒潮からの聴取をもとにし、以下のように考察する。
黒潮はあくまで大戦後弱体化した我が国の経済基盤を再建することに主眼を置いており、そのための有力な手段として軍需産業の活性化を推進していたものと思われる。“ガ號計画”もその一環であり、かつ主軸であるといえる。
実業家としての黒潮の信念は内政・外交両面において現体制に変革を要求するものではあるが、それを武力政変によって成さしめようとしていた様子はない。黒潮が武力政変を企図するものと仮定した場合、今回調査期間中における陸軍少佐“石動寛治”との接触の態様に矛盾が生じる。ゆえに黒潮の企図するところは“ガ號計画”ならびに大伴コンツェルン内におけるいくつかの極秘兵器開発計画を、中央政府に変革を迫る圧力として利用することであったと思われる。したがってその圧力を失わないために、技術独占を画策していたと考えることはできる。
ただし長い年月によって醸成されたこの支配体系も、黒潮の秘書である“神代正樹”と大伴製薬専務“船越英明”両名の首謀による経営権奪取が成された現時点において、その本質は変化していると見るべきであろう。また、血がつながっていないといえども自分の娘である“黒潮真耶”を必須条件としている時点で、ガ號計画が黒潮にとって逡巡の源となり続けていたことも付け加えておく。この逡巡は黒潮がコンツェルンの経営権を奪われた遠因にもなっている可能性がある。
なお南亜戦争終結以降これまで、大伴コンツェルンの動向を黙認していたブレインギア社がなぜ、今の時点でにわかに極東総支配人“アルカード・ヴァン・ヴォグート”および“サークス”を差し向けたのか、その理由について黒潮豪蔵は量りかねている様子であった。しかしこれは前回報告に記した“サークス”と“アルカード・ヴァン・ヴォグート”の間で交わされた通信内容から、“骸骨男”すなわち“神楽遺跡の頭部体”を確保することが目的であったと推定できる。
以上を秘匿任務第三八九七号 および 秘匿任務第三九九六号 の最終調査報告とする。
追伸
大伴市脱出の途上にて大規模な市街戦を目撃。
一方は明白に、陸軍少佐“石動寛治”が指揮する部隊であった。
歩兵と戦闘車両および特科による混成部隊である。
他方はこれまでに見たことのない未知の兵器で、複数の脚によって移動する戦闘車両であった。
機体に記された商標から、これらはブレインギア社が所有する新兵器と断定する。
両者の戦力差は圧倒的で、ブレインギア社側は二ないし三の戦闘車両で石動の部隊を次々と殲滅していった。その際ブレインギア社側の損害は皆無であった。
この戦闘車両の主武装は光学兵器らしきものであるが、その出力は常識をはるかに超越するもので、石動の部隊が運用していた装甲車両を容易に両断するという恐るべき物であった。
これにより石動の部隊は程なく全滅し、武力政変は失敗に終わった。上記は、本部では既に想定されている事態かと思われるが、念のため追記しておく。
(編者註:ここに見られる追記は、立木による、上位者に向けられた“最後の皮肉”であろう。資料 イ 〇二五 を再読せよ。立木の上位者は石動のクーデターが失敗に終わることを事前に察知していたわけである。しかもそれがブレインギア社の介入によって潰えることをも知っていた節がある。立木が市街戦の光景を見、同様に推測したであろうことは想像に難くない。なにしろブレインギア社側は自社の兵器に、大胆にもロゴマークを付けたままの状態で交戦していたのである。仮にも主権国家であるこの国において上記のような行状がまかり通ってしまうという現実は、ある意味屈辱的とも言えるのではないだろうか。立木にそこまでの憤りがあったかどうかは定かではないが、すべてを知っていながらそれを黙認していた上位者に対する、立木の冷笑とも取れる追記である)
今回の報告は以上とし、本通信の発信をもって全任務を完遂したものとする。
以上が大伴市における諜報活動の概要である。この資料と当時の新聞報道等をもとに、当時大伴市でなにが起きていたのか、その全体像を各々で構築してもらいたい。かかる大局観こそ、各々の近視眼的傾向を改善する良薬であると確信するものである。
なお後日我々の調査および警察当局から入手した情報等によって、当時の立木の調査対象に関するいくつかの事実が明らかになっているのでここに記載する。参考にされたい。
長きにわたり大伴コンツェルンの頂点に君臨していた“黒潮豪蔵”は、その屍体が建設中の大伴タワー最上階・展望ホールで発見された。左胸部を鋭利な物体で刺突されたことが直接的死因である。
その妻、“黒潮沙羅”も同じく、大伴タワー最上階・展望ホールで屍体が発見された。左胸部に銃創があり、三八口径弾丸が心臓を貫通したことによる即死状態であったと思われる。
同展望ホールでは他にも、大伴製薬研究員数名の屍体が確認されている。いずれも黒潮直属の研究室でガ號計画に従事していた者たちであった。
大伴タワー最上階エレベーター付近では、大伴製薬専務“船越英明”の屍体が発見された。なお同現場で、宗教団体“白鈴會”幹部数名の屍体も発見されている。
陸軍少佐“石動寛治”は、大伴市公会堂入口前にてその屍体が発見された。なお石動の部隊はことごとく全滅しており、クーデター参加者中、生存者は皆無であった。
大伴製薬秘書室長“神代正樹”、白鈴會教祖“黒潮真耶”の両名は、今回の事件に深く関与していることは立木の調査報告からも明白なのだが、ともに行方不明となっており屍体は発見されていない。
同じく立木の調査対象であった“御子神隼人”も行方不明となっているが、彼の情報源としての価値は先述の二名と比較した場合あまりにも低く、これを考慮する必要はないであろう。
なお立木の上位者が中途で追加した任務において重要視されていた神父“神崎芳生”は、彼の住居でもあった“大伴聖マリア教会”で死亡していた。教会の建物自体が激しく破壊されており、神崎の死因は不明である。また、なぜ教会がそのような破壊の対象となったのかも不明である。この事実に関しては各々の熟考を求めたい。
また、終局における立木の最重要調査対象であった“神楽遺跡”については、我々も徹底的な追跡調査を行った。にも関わらず、これに関する後日情報は一切得ることができなかった。いまもって調査は継続中であるが、その所在の究明は困難を極めるものと思われる。これについても、各々の独創的かつ包括的な着眼点による新たな端緒を強く求めるものである。
最後に、立木恭一郎によって書かれた“未完の手紙”を転載する。
これは立木の表向きの職場兼住居である“立木興信所”で発見された、書きかけの手紙である。既知の事実だが、立木恭一郎は大伴クーデター事件の翌年九月中旬に死亡している。死因は突発的な心臓麻痺であった。立木は手紙を書いている途中、興信所の近くを散歩していたものと思われる。その散歩中に、交差点の中央で絶命したのである。
この手紙が容易に入手できた経緯として、当時の興信所の従業員二名が立木の死亡当日から突如行方不明となり、無人の事務所への侵入は極めて容易であったという事実をここに記しておく。なお従業員のうち一名の氏名は“新條剛”であり、これは立木が大伴での諜報活動中に工作対象としていた元警官のことである。新條は大伴でのクーデター発生の直前に退職願を提出しており、それは受理されていた。もう一名の従業員については女性であるということが周辺調査によって判明しているが、その姓名等は不明である。
加えて、立木の大伴における活動中その調査対象であった“間宮霧子”も時を同じくして行方不明になっていることを付記しておく。当時間宮霧子は大伴市内の定食屋“みなかみ”に住み込みで勤務しており、同月には私生児を出産したばかりであった。この私生児の父親が何者であるかは不明である。なおその私生児も、この時間宮とともに行方不明となっている。
以下に掲載する“未完の手紙”が、各々にとって何らかのヒントになり得ることを願う。
ロ 特
ミツコへ
しばらく慌ただしくしていて、手紙を書くことができなくてすまなかった。
前回の手紙を出した後、ほどなくお前と一平のかたきはとった。
また、そちらに行きそびれてしまったよ。また生き残ってしまった。強がりを言うわけでもなく、別に相討ちでも構わないと私は思っていたんだがね。なにぶん、相手の腕が悪すぎた。昔から人を陥れて自分の保身に走るようなことばかりしていた輩だから、当然と言えば当然なんだが。ともあれ、これでやっと肩の荷が下りた気分だ。と、思っていたんだが、実はそうでもないんだよ。
大伴で知り合った若い刑事ときれいなお嬢さんが、この騒ぎのせいで行き場を失ってしまった。それで仕方なく、私の事務所で面倒を見ることにした。
若い刑事のほうはいまひとつ飲み込みが悪くて、仕事を教えるのにも一苦労している。しかし根はいい男だよ。
お嬢さんのほうは、かわいそうに天涯孤独の身の上とのことだった。この子は仕事の覚えも早く、おそらくなにをやらせてもすぐに上達するんだろうが、なぜか本人が「私はお茶汲みと経理のお仕事だけで十分です」と申し出ているので、そのようにしてもらっている。
そんなわけで、やっと念願の自営業に専念できるようになったんだが、若い連中の面倒もみなけりゃならんし、結局のところ貧乏暇なしという体たらくに変わりはない。しかし、日々の暮らしに張り合いがあるのはいいことだ。おまえと一平には申し訳なく思うが、もう少し浮き世を楽しませてもらっても構わないだろうか。
ともあれ、あの事件からおよそ九ヶ月が過ぎた。今年も去年にまして残暑が厳しい。いや、これは私が歳をとって、暑さが堪えるようになったせいかもしれないがね。
時の流れとは冷酷なものだ。あのとき大伴市に端を発したクーデター未遂事件は、この国をさらに大きな災いの渦中へと引き込む結果となった。いま、世界は確実に危険な方向へと向かい始めている。
大伴市での惨劇も、真相はすべて闇の中へと葬り去られた。いまとなっては、真実を知るものは少ない。生き残った者たちも、自らその口を開くことはないだろう。
しかし、大伴から連れ帰ったお嬢さんが、私にだけ、とても悲しい話を聞かせてくれた。若い神父が、愛するもののために命をかけて戦い、志半ばで死んでいったらしい。その神父がなぜ戦わなければならなかったのか、そのわけについても彼女は話してくれたんだが、ここに書くと長くなりそうなので、おまえには私がそちらにいったときに直接話すとしよう。ところで大伴にいた頃お前に宛てて出した手紙の中によく、面白い若者の話を書いていたと思う。その若者だが、名を御子神隼人という。彼もまた、大伴の惨劇の中、行方がわからなくなってしまった。
その後、御子神隼人の消息は杳として知れない。もしかしたら、御子神隼人が神楽辰男であったのか……そんな荒唐無稽な想像が、脳裏をよぎる。
閉鎖的都市大伴で人知れず繰りひろげられたふたりの若者の戦いは、後の歴史にどんな
(編者註:立木の手紙は、ここで終わっている。ここに書かれている“ふたりの若者”が誰を指しているのかは不明である)
資料「大伴市における諜報活動の概要」 了
本資料の複写は、部分・全体によらずこれを禁じる





