塹壕戦のパリ
夜が明けると目の前にあるのは、煤を落とされてベージュ色に美しく輝くパリであり、それに似たような色になるよう建物が黄色く塗られたサイゴンではなかった。
しかし、このパリは最後の大規模鉄道ストライキの中にある。最後というのはこの年末にも新しい方が施行され、一定限度以上の列車を停めるストライキが禁止されることが予告されていたからだった。
郊外ル・ブルジェの航空博物館まではわずか14キロしかないが、列に並んでようやくやって来たタクシーには取り合ってもらえなかった。わずかその距離で3時間はかかるだろう、という。
しかたなく諦めたその交差点はゴブラン・アニメーション学校の目と鼻の先立ったので、ここは生真面目にパリのアニメーション教育を見学することに変えた。先生に紹介してもらい、ストのせいで学生の姿もまばらな各教室を見歩き、機材がすっかりデジタル化されてフィルム撮影がほとんど排除されていること、3DCGアニメーションが必須科目になっていることなど、真面目に見学した。
そんな教室棟の地下に据えられたマルチプレーン撮影台の前には、昔ながらの立体アニメーションを作ろうとしている女性がおり、硝子絵を描いては駒撮りし、消してはまた描く彼女の作業は手作りの最後の牙城のようにも思われた。熱心に筆を動かす彼女は何故か裸足だった。
それから、当地における年上の友人、ジャック・コロンバ監督にご登場いただいて、お昼(エスカルゴ、内臓入りのソーセージ)をご馳走になり、なんでル・ブルジェなんか行こうとしてたんだ? と訊かれる。訳を話すと、わかったわかった、この辺のどこかの土中から墜落した昔の飛行機が発掘されたら塗料のついた残骸片を切り取って送るよ、必ずな、と冗談で返される。
まあ、そんなようなことだったのだ。
コロンバさんは第一次大戦ネタの企画を転がしているところだったとかで、午後はマイヨール美術館に『ドイツ表現主義が描いた第一次世界大戦展』を観に行かないか、と誘われる。戦争には興味ないけど表現主義に興味あるのさ、と。それは、実際に兵士だった画家たちが盛大に戯画化して描いた人間の醜悪な姿の羅列だった。千切れ飛んで鉄条網にひっかかった肉片と、目の座った男が抱えた銃剣にからみついた内臓と、うずたかい死体の山を掩体に使って伏せる狙撃兵たちと。合間合間には、豊満な女体のボリュームを称えることに熱心なこの美術館の本来の主、マイヨールの彫刻が並べられており、目がくらくらした。
なんででこの旅はこんな風に展開してしまうのだろう?
(現地時間15日早朝)
